拉致家族・横田拓也氏が福岡で講演「ニュースを鵜呑みにしないで」

  1. 拉致問題

平成30年12月1日、福岡県直方市で県主催の「拉致問題を考えるみんなの集い」が開催され、拉致被害者である横田めぐみさんの弟・横田拓也氏が講演した。救う会福岡が協力し、直方市民ら330人が参加した。

以下、横田氏の発言より一部抜粋する。

「姉(めぐみ)はいつも家族の中心で、双子の弟と喧嘩していると仲裁してくれた。姉が拉致された日、母に手を繋がれて海の近くの真っ暗な防風林へ探しに行ったことを覚えている。ホテルの廃墟にも行ったが、とても怖かった。拉致されて41年、つらい出来事はたくさんあったが、拉致された当日とその翌朝が最もつらかった。拉致以降、家庭の中から笑顔が消えた。姉は明るく、年の割に大人びた女性だったので、自殺や家出ではないと信じていたが、母は自分に非があったのではないかと己を責めていた。20年は何の手がかりもなかったが、両親は決して取り乱すことはなかった。そういう姿を子供に見せないようにしていた。」

「1988年に国会で拉致問題に関する質問が行われたが、ほとんどのマスメディアは黙殺した。これが、拉致問題が長引いた原因だった。70年代にもわかっていたのに、日本は何もしてこなかった。日朝首脳会談の後にやっと動き出した。街頭署名活動していると暴言を受け、石を投げられるようなこともあった。心が折れそうな中、温かい言葉をかけられて支えられてきた。」

「北朝鮮は『横田めぐみは自殺した』と説明したが、その時点で嘘だと確信した。外務省は日朝国交正常化を優先して進めるために北朝鮮の説明(=姉の死)を認めようとしていた。拉致が判明しても北朝鮮へコメ支援を続けた。私たちは北朝鮮ではなく日本政府と戦わねばならなかった。北朝鮮は偽の遺骨を出すことで、拉致の上に罪を重ねた。そこまでしてお金を得ようとしていた。そのやり方は今も続いている。私たちも様々な工作を受けているが、全て撥ね退けている。」

「目の前で溺れている子がいたら、なぜ溺れているか考えることなく助けるのが当たり前。両親はそのつもりで全国駆け回った。あまりにスケジュールが過密で、身体を壊さないか心配だった。父に忠告したが、『後悔したくない』と言って聞かなかった。拉致被害者としての横田めぐみの名前を公表するか、家族中で反対したが父だけが公表すべきと主張した。このことで、日本国民に拉致問題が印象付けられた。いま父は入院しており、いつまで生きているかわからない。41年も戦い続けて姉に会えないとして、これほど残酷なことはない。現実的に親世代が動けなくなり、自分たち子供世代が動かざるを得なくなった。」

「もっと国際社会を巻き込んで訴えないといけない。米国にも強く出て欲しい。制裁強化を求めている。2017年に訪米した際、NSCのアジア上級部長ポッティンジャー氏に会い、その後、トランプ大統領が国連演説で拉致問題に言及した。これで、全世界の外交官とマスメディアが拉致問題を知った。トランプ大統領は来日し、家族会に会った。北朝鮮はこのような動きを恐れている。」

「日朝首脳会談は、会うことだけを目的化してはいけない。北朝鮮は拉致被害者の死亡を言う場にする。首脳会談が開かれるには、全ての拉致被害者が一括帰国できることが前提でなければならない。今は北朝鮮側の決断を待つ段階。」

「私たち民間人には言葉の武器しかない。今日聞いたことを家庭や職場で話して欲しい。SNSで発信して多くの人を巻き込んで欲しい。日本政府が安易な妥協をしようとしたら、民意として政府に意見を言って欲しい。ニュースを鵜呑みにしないで欲しい。」

「姉が帰ってきたら、(東京の)六本木など最先端の街に連れて行きたい。しかし時間が足りない。このままでは夢が夢で終わってしまう。」

この記事はニュース解説サイト「選報日本」から転載しました。

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